お久しぶりっす。
2週間以上空いたのか。
ブログ更新を長距離走で例えると、
もう走れないと惨めな走りしながらそれでも今まで足は動かしているつもりだったが、ついに立ち止まってしまった感じの2週間ちょいだった。
また走り出すにしても、パワーは出ないと思うのでご了承下さい。
マラソンではなく駅伝だと思っているので、なんとか次の走者にタスキを渡したい。
今回は、
戦後70年を迎えたということでそれに関するニュースを取り上げる。
2015年8月16日の日本海新聞の記事。
県出身戦没者2万3478人を慰霊 護国神社
終戦から70年の節目となった15日、鳥取市浜坂の鳥取県護国神社で「護国英霊夏季平和祈念感謝顕彰祭」(日本会議鳥取県本部主催)が営まれた。戦没者の遺族らが参列し、同神社に祭られている県出身の戦没者2万3478人を慰霊した。
顕彰祭では、同本部の今岡祐一会長(90)のあいさつの後、祝詞や祭文が奏上され、出席者が玉串を奉納。70年前に玉音放送で流された終戦詔書が読み上げられ、犠牲となった戦死者らに思いをはせた。
このあと東京の日本武道館で行われた政府主催の全国戦没者追悼式のラジオ放送を聞きながら、正午の時報に合わせて黙とうし、平和への思いを新たにした。
6歳の時に出征した父親を中国で亡くした県遺族会会長代理の山根崔幹さん(83)=岩美町長谷=は「子ども5人を残し無念だったと思う。国のためにと散っていった父を思い、今後も参拝を続け鎮魂の誠をささげたい。大きな犠牲の上に今日があることに感謝している」と話していた。http://www.nnn.co.jp/news/150816/20150816004.html僕は15日は風邪引いてたので 16日に参拝した。
戦後70年、テレビ新聞を見ると安倍談話に侵略やら反省やらが入ってるかどうかとか、安保法案で戦争になるというネガキャンばかりで心底げんなりさせられる。
国のために戦ってくれた方々に感謝するという視点が全く見られない。
それは、僕があまりテレビ新聞を見ないせいか?
まぁ大東亜戦争は侵略戦争だと思わせたい方々が英霊に感謝などするわけもないか。
マスコミがそんなのばっかりなせいで日本全体が感謝とは反対のことをしてるようで、そう思うと悲しく情けない気持ちになる。
そんな気持ちだったので、感謝という言葉が載っていた上の記事を取り上げた。
大東亜戦争(太平洋戦争)について僕は詳しくはない。
コミンテルン(共産党主義政党による国際組織)によって戦争に引き込まれたという話を聞いた。
https://www.youtube.com/watch?v=fyLoG3zhoZAあの戦争が過ちだったとしても、国のため戦ってくれた人達を責めるべきではない。
戦場に赴き戦ってくれた人達を絶対責めちゃいけないし、やはり感謝すべきだと言いたい。
とりあえず強く主張できることは、今の世相や価値観やそういったもので過去を裁くのは良くないということ。
『 戦争はやっちゃダメ!戦争は絶対悪!だから戦争をした昔の人達は悪い人達だ! 』
…なんて単純な見方は
絶対良くない。
もう一つ、日本海新聞の記事(2015年8月15日の記事)を取り上げる。
安倍談話についての県内の声とやらを紹介した記事だ。
賛意と批判交錯 戦後70年談話 県内の声
安倍晋三首相が14日に発表した戦後70年談話について、鳥取県内でも歴史認識や先の大戦をめぐる「おわび」の記述、中国や韓国に向き合う姿勢で評価が割れた。「談話の通りに進むべき」「無難で表面的な内容だ」。賛意と批判、注文が交錯した。
戦争を経験した鳥取海軍海友会長の石谷寿明さん(93)=鳥取市=は「談話の通りに日本が歩めば言うことはない。世界平和に積極的に貢献する姿を示していくことが大切だ」と内容を支持。「われわれは厳しい戦いをくぐり抜けてきたが、子や孫に行わせてはいけない」とし、「日本海、東シナ海を取り巻く状況はただならぬ空気もある。万が一にも隣国から土地の侵略を受けるといった最悪の事態が起きれば、国民の財産、国土を自衛隊に守ってもらわないといけない」と述べた。会員登録すると続きをお読みいただけます。
http://www.nnn.co.jp/news/150815/20150815056.html日本海新聞会員に配慮して、他にどんな声があるのか名前と発言部分だけ抜き出すと…。
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日本会議鳥取県本部会長 今岡祐一さん
「 村山談話を卒業して欲しかった。『謝罪は済んだ。これからは未来へ』というのが本心ではなかったか。周辺国への配慮が過ぎる。中国、韓国には毅然とした態度を。60点の内容だ。 」
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倉吉市母子寡婦福祉連合会母子部長 三谷由さん
「 表面上のことだけを盛り込んだ、さらりとしたきれいな談話という印象 」
「 私たちが平和に今生きているのは、先人が生きたくても生きられなかった歴史があったから。安心して子どもを産み育てる社会にしてほしい。談話で言われたことを貫くならば安全保障関連法案は廃案にしてほしい 」
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鳥取県九条の会事務局長 浜田章作さん
「 長いばかりで内容がなかった。無難にやり過ごした談話 」
「 日露戦争を評価したことは間違いだ。いかなる武力の威嚇や行使もないと言っているが、戦争できる法案(安保法案)を国民より前に米国で約束するなどやっていることが違う 」
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在日本大韓民国民団鳥取県地方本部団長 薛幸夫さん
「 全体としては無難な談話 」
「 『侵略、戦争』に言及したのなら日韓併合や韓国・朝鮮に対する植民地支配にも言及すべき。後退している 」
安倍談話の全文は最後に載せる。
僕の感想はまぁ、侵略などした覚えはない!とかあまり本当のこと述べるには、マスコミが反日すぎる現状などからまだまだ危険だし、かと言って村山談話など過去のものをそのまま肯定してもダメ、
そのバランスを取って反日勢力さえも綺麗と認める絶妙な談話を仕上げたのは凄い。
今のとこ反日勢力がうまくファビョれてない感じだし、合格と思える。
そりゃはっきりガツンと言って欲しかった気持ちは当然あるが、安倍内閣に本当に期待しているのは反日勢力を殲滅させる実際の施策だからね。
では、
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.htmlより安倍談話全文引用⇩。
終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。
百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
そして七十年前。日本は、敗戦しました。
戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。
ですから、私たちは、心に留めなければなりません。
戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。
平成二十七年八月十四日
内閣総理大臣 安倍 晋三